2025年12月2日(火)「回復期リハビリテーション-5-(OPLL歩行訓練編)」をアップしました。

回復期リハビリテーション -5-(OPLL歩行訓練編)

OPLL-Recovery
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 転院して1か月が過ぎ、世の中は新年度を迎えようとしている。幸いにもウェルウォークにより多少でも歩ける可能性が出てきたため、リハビリメニューは次の段階に進み、歩行補助器を使用しての歩行訓練を並行して行うことになった。

ようやく自立の第1歩

 歩行訓練が出来るようになったと言っても、病室からリハビリテーション室までの移動は未だ車椅子で、移動範囲も制限が掛かっており、ベッドから車椅子に乗り込むことも病院スタッフの許可・介添え無く自分勝手にはできないのだ。仕方がない。ここで焦っては事を仕損じる。慎重に行こう。

 ウェルウォークでの歩行距離は、開始10日後には当初より2倍以上の400mを歩けるようになり、歩き方も最初は膝が上手く延びなかったり身体が傾いていたりと、ディスプレイで我が姿を見るのが恥ずかしくなるくらい情けないものだった。その内、歩き方も日を追うごとに慣れてきて、多少は様になってきたところで、次はロボットの負荷を徐々に下げていくことになる。当然のことで、まさかロボットを着けたまま社会復帰する訳にもいかず、これからが本当の試練と思い頑張るしかない。

 そして、自分で立つことができ、何かに掴まってでも前に進むことが出来る様になると、次は歩行補助器の助けを借りての訓練に進む。もちろん私の直ぐ傍にはPTの方がずっとついていてくださっている。
 歩行補助器による歩行訓練は、リハビリテーション室の内周を歩くことから始まる。肘当てが着いているので、脚に全体重をかけなくても歩くことができるため、最初から50m以上進むことができた。慣れてくると100m、150m、300mと日を追うごとに増え、約2週間後には500m近く進むことが出来るようになっていた。
 余談だが、もう少し季節が進んだ5月の大型連休後の私の体重は58kg(身長168cm)となっていて、これはBMIでは普通体重の範囲には入るので問題は無いのだが、妻が日に日に痩せていく私の姿を見て違う病気を罹ったのではないかと気を揉む事となっていた。確かに、これは明らかに摂取エネルギー量より運動量が勝ってしまっている状態だったので、これ以上筋肉が痩せないよう、ご飯は普通盛りから大盛りにしてもらい、訓練後もパウチに入ったエネルギー補給剤を飲んで、何とか筋肉をつけて体重を増やそうとした。結果的には、退院時の体重が60~61kgと標準ど真ん中となっていた為、妻も安心した次第となった。

 そして、4月も中ごろに差し掛かると自立歩行の訓練が始まった。勿論、リハビリテーション室の中で、しかもPTの方がいつでも私を支えられるようほぼ真後ろで一緒に歩いてくれているので安心だ。最初の距離は20m歩けたかどうかというヨチヨチ歩きというレベルだったが、何の支えも無く、自分の脚だけで歩くことが出来るようになったこの時は感激した。社会復帰への第一歩を踏み出したという、何とも言えない高揚感がそこにあったことを今でも思い出す。
 しかし、これは次へのステップの一つにしか過ぎず、この後はもっとハードな訓練が待ち構えていたのだ。そう、この時点でも私の訓練はまだホップの段階で、自立歩行が出来る様になってようやく次のステップの第一歩となった。

平面から上下へ

 歩行補助器による歩行と多少の自立歩行が出来るようになって約1週間、病棟1フロア内での自由歩行が許可され、やがてベッドへの乗り移りもフリーになった。それまでは全ての行動に病院スタッフが付き添う決まりとなっていたので、これでスタッフ皆さんの手を煩わせなくてよくなったと思うと、多少安堵していると同時に、身の回りから賑やかさが消えていき一抹の寂しさもあったりした。その内、自力での起き上がりが出来るようになり(何と転院して約1か月半も経っていた)、訓練はいよいよホップから次のステップの段階に進む。

 転院から約1か月半後、歩行訓練は体幹を鍛え距離を延ばすための訓練に入った。
 その一つが階段昇降。最初の頃は、手摺をつかまないと脚の上下だけでは階段を上ることは出来なかった。しかも1階から2階へ登るだけで精一杯だった。帰りは、情けないことにエレベータで降りる事となっていた。

 これと並行して行われたのが、平行棒につかまって腿上げをしながら横移動する訓練。
 腿は床と並行になるまで上げて軸足とクロスするように下ろして行く。端まで行ったら今度は軸足を逆にして反対方向に向かう。これを1回のリハビリで何度か繰り返すのだ。そして、これが連続して出来るようになると、階段昇降での腿上げもスムーズに出来るようになる。

© いらすとや

 その様なリハビリを続けていく内に、訓練は屋外へと移っていく。階段昇降を始めてから1週間後。屋外歩行はPT付き添いのもと、杖若しくは押し車で病院前駐車場を周回することから始まる。周回といっても1週間ほどかけてようやく1周できるようになったレベル、まだまだである。
 そして階段昇降を始めて2週間後、手摺につかまってだが1階から4階を1往復(これが本当の昇降)が出来るようになっていた。しかし、この時点においても、リハビリテーション室や訓練場所までは、スタッフ付き添いのうえ車椅子での移動しか許可されていなかった。完全自立への道はまだまだ遠い。

距離とスピード

 転院して約2か月半が経ち、私の行動範囲は少しずつ拡がっていった。先ずは車椅子による院内の移動が自由になり、これにより売店での買い物が好きな時間に出来るようになった。

 リハビリ・メニューも新たにサイドステップと反復横跳びが追加された。反復横跳びは、ご存じのように左右へ3歩ずつステップしながら横往復するのだが、通常の体力測定同様に一定時間内での回数がノルマとして与えられる。勿論できなかったとしても何のお咎めも無いのだが、達成感が欲しくて頑張ってしまう。達成すると今以上のノルマが与えられる、とイタチごっこの様相を呈しているが「これもまた楽し」だ(決して被虐性がある訳ではない)。勿論、ステップを踏んでいる私の後ろでは、イザというときのためにPTの方が一緒にステップを踏んでくださっている(その両手は直ぐに私の身体をつかむことが出来るよう)・・感謝。

 階段昇降も1階から6階の最上階まで、休みながらではあるが手摺につかまらず一往復できるようになった。ここの病院の6階からの眺めはとても良く、晴れた日は市街や郊外の田園風景が一望できる。話が逸れてしまったが、階段昇降のリハビリは手摺につかまらず如何に昇り降りできるかが最終課題となる。登りはよい、筋力と体力があれば登ることができる。問題は降りるときだ、どうしても最初の一歩が踏み出せない。踏み面[1] にうまく足が乗らなかったらそのまま転落だ。リハビリ中は、PTの方がいつでもサポートできるよう構えてくれているので安心している。しかし、退院後は一人で階段を昇り降りしなければならない事も出てくる。殆どの階段は踊り場[2] があるため、真っ逆さまに転げ落ちることは無いだろうが、OPLL患者の場合、もし転げ落ちた時の衝撃は、恐らく重度の麻痺や憎悪では済まないかもしれない。リハビリでは出来たとしても、社会復帰後の階段昇降を実際どうするか(手摺を使うか、又は杖をついて降りるか)は最後まで悩みのタネであった。

 そうこうしている内に、行動範囲は病棟内自立から病院内自立となった。この頃になると、階段昇降は手摺なしで1階から6階まで4往復できるようになっていた。勿論PTの方のサポート付きである。サイドステップも10m往復を20セットできるようになっていた。
 そして此処での入院生活も3か月が過ぎようとする頃、病院敷地内での外回り歩行も単独自由となった。こうなるとリハビリは、歩行距離を休みなく何処まで伸ばせるか、段差のある箇所を如何に不安なく通過できるか、大小の石を含んだ砂利道をバランスよく歩けるか、となってくる。ここまでくると、もう退院の日は決まっている。やり残して後悔しないよう頑張るだけだ。

  1. 踏み面(ふみづら):階段の平面部分。 ↩︎
  2. 踊り場:階段の途中に設けられるやや広い平らな場所。階段の折り返し箇所に設けられ、一気に転落するのを防止する効果もある。 ↩︎