障害による書くことの不都合について

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 先日、某テレビ番組で「災害時の不安や恐怖を和らげる一つの方法として、利き手を変えて物事(例えば、歯磨き)をしてみるとよい。」という話があった。歯磨きくらいなら慣れるまでに多くの時間を要しないが、これが文字を書くために利き手を変えるとなると結構厄介だ。
 私は、OPLLの発症によって当初は首から下(特に四肢)が殆ど動かなくなってしまったが、その後のリハビリなどのお陰で、今は多少の不自由さを感じながらも日常生活を営んでいる。しかし、入院当初、右手足の復活が著しく遅れてしまった私にとっては、不自由を承知で利き手を左に変えようとした。
 現代では、文字などによる表現は様々なツールで実現できるようになっているが、人となりを一番表現しているのが「手書きの字体と文体」だと思っている。そこで、「OPLLの回復期リハビリ -3-(指先の感覚を呼び覚ます -1-)」では大まかに書いていた「障害による書くことへの不都合」ことについて、ここではその時の心情や結果などを少し細かくお話ししようと思う。

ペン(筆)先を押す動作

 書くために利き手を変える、ということで最初に訪れる難関が「日本語で文字を書く」という行為の殆どが「右手優位」であるという現実だ。
 文字を書くという行為の中で、「ペン(筆)先を引いて線を書く」という動作は容易だが、「ペン(筆)先を押して線を書く」という動作は文字に余計な筆圧がかかり、場合によっては紙に皺が寄ったり突き破ったりする。
 生来左利きの方の書き方を見ていると、とても器用に文字を書いておられ感心するのだが、慣れない者が左手で書くと必要以上に筆記具に圧力がかかったり、逆にかからなかったりする。特に「筆」を使った場合だと「押す」という動作は筆脈を乱す原因となる。これは、文字には書き順が決まっている以上如何ともし難いことなのだろう。

書き順を変えてみる

 では、利き手を変えて書きやすい様にするにはどうしたら良いのか、次に考えたのが「書き順を変えてみる」ということだ。ペン(筆)先を引いて線を書くという行為に慣れているのならば、書き順どおり左から右に流れるのではなく、逆に書いてけば余計な力が加わらなくてよいのではないか、と。
 実際やってみたら不慣れなせいもあったのだろう、いびつな字体になっていた。文字の中にある一つひとつの線の「書き出し」と「止め」が入れ替わると、こうも字体が変わるのかと書きながら驚いていた。やはり書き順は大事なのだ、と齢60近くになってようやく気付いた次第だ。

変えた利き手を細かく制御する訓練

 やはり、利き手とは逆の手を上手く使うには、書く力を制御できなければ駄目だと気付く。ここで作業リハビリの一つでもある「手指訓練」を、利き手復活のためだけでなく、逆の手も使えるようになるために訓練することとしたのだが、1日に療法士の方が付いてリハビリ出来る時間は3時間以内と決まっているので、この時間帯では利き手の訓練だけで精一杯だ。が、心配することは無い。入院中の私にはたっぷりと時間がある。
 ベッド横の作業台に車椅子で座ることを許可された私は、左手で「筆脈」を意識して書く訓練、即ちペン(筆)先に掛ける筆圧を細かく制御する訓練に時間を費やした。紙一杯に真っ直ぐな線を同じ濃さで縦と横に書くことから始め、斜め線を左右に書き分け、大きな丸や小さな丸を描いてみたのだが、やはり最初はまともな線になっていない。
 特に「丸」は押す動作と引く動作が一体であるため、力加減が上手くないと綺麗に描けない。とにかくこの頃は、時間を見つけては書くという訓練をひたすら行ったためか、1か月後には多少はまともな線が描けるようになっていた。 

四角い枠内に字を収める

 多少まともな線が描けるようになったからといって、綺麗な字が書けるようになった訳ではない。やはり握力がそこそこ戻らないと筆圧が足りないのか、直ぐ弱々しい歪んだ線になってしまう。が、そうも言っていられないので訓練は進む。
 取りあえず、綺麗な字が書けなくても読める字を書くことに切り替えた。それは、どの様な文字でも四角い枠の中に納まる字を書くということで、これだと縦横斜め線が書けるのであれば「はらい」など上手くいかなくても何とか見られる状態になる。即ち「筆脈」を意識しなくても何とか字体を保てるのだ。

その後

 結局、退院するまで左手での筆記はたいして上手くならなかった。それはそうだろう、幼少期から長い年月をかけ、書くという訓練を経てきた利き手の字と比べる方に無理がある。
 しかし、これまで様々なリハビリを経て右手に握力が多少戻ってきたことや、右手指の動きが多少細かに出来る様になったことで、以前のとおりとはいかないが「利き手でもまあまあ読める字体」にはなってきた。
 「止め」や「はらい」などの微妙な筆圧の調整もやや出来る様になった。これは入院直後と何が違ってきたのか?と足りない頭で何とか考えてみて、次の結論に至るようになった。
 第一に長時間に渡りペン(筆)を掴み続けられるようになるほどの必要十分な握力がついた。
 第二に手指・手首・前腕の一連の動きによりペン(筆)にかける微妙な筆圧の調整だ出来る様になった。
これに加えて綺麗な文字や文体を書くために、
 第三に綺麗な文字・字体(お手本)通りに書けるようになるための訓練を続けた。
 第四に文字の中心を意識して真っ直ぐな字を書く意識した。
文字のお手本は、私の場合は漢和辞典にした。人それぞれだろうが「正しい字」が書けなければ綺麗な字体はあり得ないと思っていたので、先ずは四角い枠内に文字を収めることを意識した。また、真っ直ぐな字を書くために、横罫線の間で文字を書くのではなく、横罫線の上で文字を書く訓練をした。
 「言うは易し行うは難し」なのだが何事にも常に意識すること。意識すれば理想に近づくことが出来る・・・と今も悪戦苦闘しながら文字を書いている次第である。

 なお、せっかく訓練を続けた左手での筆記は今も時折行っている。時々なので全く上達しないのだが、左手で文字などを書くたびに入院中の頑張りが思い出され、それをバネにいろいろな事にチャレンジしてみようとする気力が湧いてくる。
 利き手以外の手指・腕を使う。健康体の方もやってみては如何だろうか。きっと、思い通りにいかない歯がゆさに思い悩むことが出てくるかもしれないが、その経験は、軽度であっても障害を持つということがどういうものなのかを一番理解できる近道だろうと思う。