前回「簡単なリハビリによる体力回復(心筋梗塞編)」までのあらすじ
急性心筋梗塞を発症し、手術後は手軽なリハビリとしてウォーキングをすることになったのだが、想像以上の体力の落ち込みに愕然としてしまっていた。一方、襲い寄せる煙草の喫煙欲求にも打ち勝つべく、益々ウォーキングなどの運動に精を出そうと必死だった。
3日、3週間、30日(1か月)、3か月、3年
表題を見てピンと来た方もいらっしゃるでしょう。あて数字は其々だが、物事の習慣化の数字としてよく使われるワードですね。私の場合、リハビリの進捗確認をもっと見える化できるようもう少し細かく区切って実践しました。
ですから、どれだけの時間をかけてどれだけ歩いたか、これは毎日書き止めました。しかし、その日によって「今日はあまりヤル気が出ないな」とか「今日は疲れて身体が重い」ということもありました。
いいんです! 目標とした日程に達した時、前回より1歩でも多く進んでいたら良しとするんです。「計画は細かく実行は大まかに」それくらい大雑把に考えて行かないと私のような飽き性は長続きしませんでした。
効果が出始めたのは半年後
平日は仕事をした後のリハビリだったので、しかも体力が無い中なので歩数はなかなか伸びません。なので休日に少しでも多く歩数を稼ごうとするのだが、やりなれないから立ち上がりが遅くなる。よってその年の12月(3か月経過)まではなかなか歩数が増えなかった。
そうやってモタモタする内に、その年は12月16日には初雪が降り、数日は降り止んでいたものの23日あたりからまた降りだし、根雪になる様相を呈してたのです。こうなると日中の外気温も高い日で5℃位。これで外でのウォーキングなど心臓弱者(造語です)にとっては自殺行為だ。
(やはり器械に頼らなくてはならないのかな?)
雪国では仕方のないことだと自分自身に言いきかせ、遂にランニングマシンを購入。機能は最低限で良かったのでそう値段は高くなかったのだが、懐には痛い出費だった。
案の定、年末に降り始めた雪は冬のあいだは融けることなく、1~2月には1m近い積雪深がずっと続き、最低気温もー10℃を下回る日も何日かあった。
(ランニングマシンを購入したのは正解だったな)
そうやって、器械の上とはいえ歩くことが日課になった私の体力は徐々に回復し、3月(半年経過)には、仕事や日常生活分を含め1日あたり4000歩をこなせるようになった。
1年後には体力が戻り増進も見え始める
その年の雪解けは3月中旬。しかも最低気温は0℃前後が続き、その年の4月7日には遅い降雪を観測する始末。まだまだ春は遠そうですが日中は10℃近くまで上がってきたので、休日はマシンの上ではなく外で歩くようにした。やはり景色の変化を見ながら運動するのは気持ちのよいものだ。
この頃になると1日の歩行数は4~5000歩になったのだが、歩くスピードが2~3km毎時で歩幅も小さいため、歩いた距離は2km程と満足の行くものではなかった。

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しかし季節は春真っ盛り。冬のように低く澱んだ雲はありません。多少の黄砂で空気は多少澱んではいるが、晴れる日も多くなり、多少高揚した気分で散歩ができる。
そうなると歩数も自然と伸びてくるもので、水無月の頃(9か月経過)には平均で8000歩を数えるようになり、歩幅も大きくなり、歩く速度も6~7km毎時ととても良い調子になってきた。
ここまでくれば、散歩が出来ない日などは逆にストレスが溜る。なので、余程の悪天候でない限りは雨具若しくは傘をさしてせっせと散歩に勤しむのだ。
夏の頃(1年経過)には1日での歩数は10000歩を超えるようになり、ただ歩くだけでは満足できず、休日には自転車を漕いで片道10kmほどのサイクリングを楽しむようになってきた。
やはり継続は力なりだった・・しかし後悔先に立たず
こうやって季節に応じた体力づくりを毎日することによって、2年後には胸の痛みや苦しみは皆無となり、1日を通して疲労感を殆ど感じなくなった。
血圧や血液検査の結果も良好で(もちろん薬は毎日飲んでいます)、こんな事なら「何故もっと早く気が付かなかったのか」と後悔しきり。
・・皆さんは、「身体がいつもと違う」と感じたら迷うことなく病院へ行って診察を受けてください。「何だか少し痛みが」とか「何だか悪心が」とか感じたら、それはもう赤信号一歩手前です。それを放置したら確実に赤信号で、二度と元の身体には戻れません。
身体を壊しては仕事や家庭どころでは無くなりますから・・。
