2011年(平成23年)8月26日、急性心筋梗塞により緊急手術、入院。
あれから(2025年8月現在で)15年目を迎えようとしている。そして今もこの投稿を書いているということは日常生活に大きな不都合がない状態。
しかし発症当時は、やはり残念であったし後悔もあった。幸いなことに、復帰しようとする気持ちになるまでそう時間は掛からなかったのだが、体力面での復帰には相当時間が掛かった。
それでは、当時の話を掻い摘んで書きましたので、お時間のある方はどうぞ読んでいってください。
発症(顕在化)前日
夏の終わり…この日は朝からとても暑く、私の体調はすこぶる悪かった。胸の圧迫感、浅い呼吸、冷や汗、多少の目まい。おそらく前日から深い睡眠ができていなかった事が原因だと自分に言い聞かせていた。しかし、その症状は職場に着いてからも改善することはなく、むしろ悪化する一方。特に胸の圧迫感は、時には鈍痛をわずかに伴い呼吸が乱れるほどになっていた。冷や汗も段々多くなってきている。その内、集中力が持たなくなり、流石にこの日は職場に着いて間も無く早退することにしたのだ。
「申し訳ありませんが朝から体調がよくありません。来て早々ですが早退させてください。」
「どうしたんだね、顔色がとても良くないよ。仕事もことは構わないから帰って休みなさい。」
「月曜日の定例打合せの資料をこれから作ってお見せしようと思っていたのですが…」
「今回は私が作っておくから気にせず休みなさい。」
と、上席からのお気遣をいただき早速帰路についたのだが、大量の冷や汗と胸痛のため、帰宅途中で何度も車を止め呼吸を落ち着かせることに相当な時間を費やし、いつもより相当長い時間を要してしまった。
帰宅後はすぐにベッドに入り只々睡眠をむさぼってしまって、気が付くと夕方だ。残念ながら、目が覚めても症状はあまり改善していない。
「冷や汗は止まったが胸の圧迫感は収まっていない。明日は医者に行こう…」
と決意したが、何故この時「今すぐ医者に行こう」と思わなかったのか。この様な症状に陥っても何故まだ大丈夫だと思ったのか、運よくこうやって生きながらえているが、場合によっては翌日冷たくなっていたかもしれないのだ。
この様に「自分は大丈夫だ」という何の根拠も無い屁理屈と、日常から自身の身体を顧みない姿勢が重病を発症させ、症状を悪化させる結果となってしまったことに、もっと早く気付くべきだった。
診断、手術、そして入院
診断
翌日、妻に病院まで送ってもらい、這う這うの体で外来までたどり着いたのだが内科受付前で力尽き、待合ソファーに倒れ込んでしまった。近くに居た方が病院スタッフを呼んでくださったらしく、いつの間にか私の周りには白衣を着た方々が取り囲んでいて、ぼんやりとした意識の中で少し安堵していたことが思い出される。
当時の担当医も直ぐ駆けつけてくれ、血圧、心電図、採血などの検査を受けた。そこで下った診断は「急性心筋梗塞」。緊急手術が必要であることも告げられ、愕然としている私の周囲では手術の準備が慌ただしく始まったのだが、この時、私の耳には周りの音があまり入ってきておらず、所謂「おいてけぼり」状態。これまでの定期診察で「高血圧症」の診断は受けており、ある程度の病名は覚悟していたのだが現実は最も重いものだった。
病院で「急性心筋梗塞」の診断を受けた当時は、自分はこの後どうなるのか、一生を酸素吸入器などの医療器械や薬に頼らなくてはいけない生活となるのか、また余命は長くないかもしれないなど不安ばかりが脳裏をよぎったし、同時に、異動して間もない職場に大変な迷惑をかけてしまったことや、家族に余計な心配をかけてしまったことに申し訳ない気持ちで一杯だった。
今でも当時の事を思い出して赤面するのは「もう煙草は喫えないのでしょうか。」などと担当医に聞いていたことだ。この期に及んでまだ喫煙と縁を切れない自分がいた。勿論、医者からの強い忠告もあり煙草はその場でスッパリ止めたのだが、その後身体が復調するにつれ、この喫煙欲求というものに暫く悩まされることになる。
手術と術直後
術式は、カテーテル・インターベンション(Percutaneous Coronary Intervention;PCI/経皮的冠動脈形成術)と言い、左遠位橈骨動脈(左手首)に局所麻酔をして、そこから血管にカテーテルを挿入する。
挿入中は所々でカテーテルの動きを感じることもあり、造影剤が流し込まれた際、ベッド横の大きなディスプレイには私の血管が映し出されていて、それを見ていると何だかSFの世界に迷い込んだような感覚があったのを今でも思い出す。
血管内にカテーテルを梗塞部位まで挿入したら、その位置でバルーンを拡張させ、ステント(3mmΦ×15mmL)を挿入することで、梗塞した血管を拡げた状態に形成する。私の場合、左主冠状動脈が梗塞しており、左回旋枝と左前下行枝への血液は既に滞っていたのだが、運よく心筋壊死部は少なかったので少しは安堵した。実は、この心臓へのダメージが放っておいた割には軽く済んだことが、後のリハビリテーションに対し積極的に取り組める理由の一つとなった。術後はステントの適合状況などを確認するため、ICU(Intensive Care Unit:集中治療室)・HCU(High Care Unit:高度治療室)で二日ほど状態監視された。
入院
緊急手術を終え、高度集中治療室での経過も良かったので一般病室に移ることになった。しかし私の身体にはまだ沢山の静脈注射が施されており、自分勝手にベッドから出ることはできないため、個室病室での管理体制となっている。
ここで一番大変だったのは排泄。無理をしなければ病室内のトイレまでなら十分歩行は可能なのだが、安静状態を保たなければならないことや、沢山の静脈注射達を連れては行けないため仕方なくベッドの上で排泄処理をすることになる。これが結構ストレスだったのだが「身から出たサビ」なので文句は言えない。
個室病室で3日間ほど過ごしたあとは多床病室での入院生活となる。入院生活は、午前中が検査や簡単なリハビリが行われ忙しく過ごしているが、それ以外は原則としてトイレ・入浴以外の行動に制限がかけられていたため、午後からは非常に退屈だった。
9月10日退院。緊急手術から2週間余りで退院できたのだが、屋外に出てみると愕然とした。残暑が厳しかったこともあるのだろうが、体力の落ち込みが想定外だったのだ。
想定外の体力の落ち込み
心臓の元気度を計る
経過観察のため定期的に通院し、トレッドミルで心臓の状態を計る検査がある。最初はゆっくりと進むのだが、ベルトの速度は徐々に上がり結構な早歩き状態だ。その内に傾斜がかかり、坂を上る様な状態となる。しかもベルトの速度も徐々に上がってくるため、脚の踏ん張りがないと直ぐにバテてしまう。いや、最初の頃は心臓がそこまで持たないのだ。
始めて間も無く医師からストップがかかり、暫くの間は青色吐息・・・情けない。これでは職場復帰しても通常勤務さえ耐えることが出来ないではないか。直ぐには無理かもしれないが、自宅でも体力回復のためのリハビリが必要だと痛感した。
先ずは基礎体力をつける
何をするにも基礎体力がなければ何もできない。2週間程度の入院とはいえ、心臓という全身に血液を送るポンプを故障させたのだから、体力の落ち込みは想像以上に大きかった。しかも退院当初はいつ心臓に異変が起きても不思議ではなかったため、「ニトログリセリン舌下錠(私が処方して貰っていたのはニトロペン舌下錠)」は肌身離さず持ち歩かなくてはならない必須アイテムとなっていた。
そんな中でもリハビリにより体力の回復を図らなくてはならない。本来であれば自宅にランニングマシンを導入し、突発性な異変に対するリスクを下げながら運動するのが良いのであろうが、毎日同じ風景を見ながら、ただ黙々と長時間のリハビリに耐えられるだろうか・・・無理だ、私の性に合っていない。
それでは、という事で屋外でウォーキングをすることにした。この続きは「リハビリによる体力回復と維持(急性心筋梗塞編)」でお会いしましょう。