発症(顕在化)当日
⛄2018年1月13日(土)。3日前から降り続いている雪は腰下まできている。おまけに今朝の最低気温はー10℃近く。本当は外には出たくないのだが、こんな日に限って今日は亡き父の法要を営まなければならない。
私の住んでいる所は田舎なので、客人は自家用車かタクシーでやって来る。なので誘導路や駐車場の確保のため、朝早くから妻や息子と除雪に汗を流していた。
一通り除雪も終わって一息ついたが、雪は勢いを増して降り続いている。「もうちょっとだけ除雪しておこう」と息子と外に出た直後、それはいきなりやってきた。カチカチに凍った路面の上に積もった新雪は、不意に滑るという悪魔を覆い隠していた。
一瞬だった。
受け身はとったものの背中から後頭部、正確に言えば首上にかけて痛みが走った。
私の身体は滑った時の体勢のままピクリとも動かなくなってしまった。いや、動かそうと脳が命令しているにも拘わらず身体は少しも反応しないのだ。運よく口は開くことができたので、近くにいた息子を呼んで外傷がないか確認して貰い、妻を呼んで来てもらった。
直ぐ救急を頼んだ。家族はありったけの毛布を持って来て私に掛けてくれた。これだけの大雪にもかかわらず救急車は直ぐに来て病院に運んでくださった。救急隊の皆様には感謝しかない。
土曜日だったこともあり、救急を受け付けてくれる市外の総合病院に運んでもらった。しかし、このことが私にとって不幸中の幸いで、後に判ったことなのだが、担当していただいた先生はこの辺りでは整形外科の名医だったのだ。
身体が全く動かないという事態ではあったが本人は割と冷静だったと思う。救急車の中で妻に私の弟に電話して貰い、今日の役目の代わりをお願いし段取りを伝えるなどしていた。
病院に着いて直ぐ、点滴と注射を打ってもらった。膠着していた私の身体はようやく柔らかさを取り戻し、緊張が緩んだこともあったのだろうか、そのまま暫く眠ってしまっていた。
目が覚めると夕方。妻はずっと付き添ってくれていて、法事は滞りなく終わっていることや、客人からはお見舞いの言葉をいただいたという知らせを聞いた。間も無く担当医が来られて私の病名を告げた。
「貴方の病名は後縦靭帯骨化症と言って難病に指定されている病気です。」
聞いた事の無い病名だ。難病と云われるからには重病なのだろう。しかし、事ここに及んで何を言われても受け入れるしかないのだから特段驚きもしなかった。
暫く三者で今後の予定などを簡単に話した後、外も暗くなっていたので妻は帰っていったが、雪は相変わらず降っていて帰り道も大変だっただろう。
慌ただしい一日だったが、家内の事は滞りなく済んでいるとのことだったので、妻や家族、そして弟妹や親戚一同に感謝して、私はまた深い眠りについた。